ARTIST STATEMENT
「工芸品や家具として日常と密接に存在し、後に西洋と分けられ日本美術という言葉で括られるようになった物の魅力の再提案を。」と、この度展示の機会を頂いたので、改めて歴史を踏まえて自身の陶芸制作の流れを整理した。
古来より、まだ見ぬ「あったらいいな」こそが生産のきっかけである。生活で使うものから権力者への献上品へと製品技術は向上した。時が流れ、思想を持つ個人から「作品」が制作されるようになる。分業していたものが一貫して個人の仕事となった。私は現代の一作家として製品の生産では無く、作品の制作を目指している。
私の場合、制作と日常とが密接になるにつれ、六畳間では解消出来ない欲望を作品へと向けるようになった。欲望たちは誘発して変貌していき、水着写真を見ることが土をいじくる動機へと変換されるようになった。
日本美術の鑑賞は屋内で楽しむ事が基本となっている。根付、蕎麦猪口、香合などの小物の蒐集。床の間も客を通す場所ではあるが、軸や花の組み合わせを個人で楽しむ色も強く思える。鑑賞に出向くよりも自分の家で蒐集にいそしむようになるのは自然な流れに思える。これらの鑑賞は現代の美術(ファインアート)の鑑賞とは性格が大きく違う。
個人作家の日常には鑑賞と制作が混在しており、制作への意欲と日常での私欲が混ざらない方が不健康であるように感じる。そこに現代工芸の新たなモチーフや造形のきっかけがあると構想し制作をした。
このような脳内で繋がった点と点は思いつきでは無い自然な生活の流れによるもので、作品も非日常的にならない。現代の工芸作品は素材や技巧などに重点を置くことが多いが、今展では「日常と制作の欲の混濁」を現代の日本美術としてどうアウトプットしたかを見て頂きたい。 ご高覧の程、どうぞよろしくお願いいたします。
CURATOR'S STATEMENT
ART FOR THOUGHT (アートフォーソート) では the foundryシリーズ vol.2として、清水雄稀「欲の間」展を開催します。
盆の上に作品が載せられている。彫刻作品において台座はアートとしての強度を主張する重要な要素とされるが、清水の”器”もまた盆の上に乗ることで”作品”へと認識を誘う。
いっぽうで、この盆と”器”の組み合わせは床の間から引用されており、組み合わせの妙による季節や侘び寂びなど多様な表現性は、日本美術における生活工芸としての存在をも確固なものにしている。
アート/西洋美術/作品というコンテクストと、工芸/日本美術/器というコンテクストの複数性を構築しながら、それらが煩悩[盆の上]に成っていると清水は述べる。高尚な文脈を内包しながら、(水着写真集がその根源であると)キッチュにネタバラシするからこそ、毎日を汗水流して生きる私たちは、彼の作品に愛着を感じずにはいられないのだろう。